先祖供養の意味

先祖供養という、過去の先祖達に感謝する行為は、

自分に繋がる全ての存在をくくり直し、

自分が生きることによって過去の生命を未来へと繋げ、

生かす行為となります。

 

人間は死後約30年間は

現世の垢を落とす修行をする幽界というところに居て、

その後に、それぞれの霊界に旅立っていくとされています。

 

この30年間はある程度、現世と交流を持つことが許されているのです。

具体的に言えば、お正月やお盆、命日などに

何回かこの世に帰って子孫と交わることができるわけです。

 

ですので、原則として、およそ亡くなってから30年間ほど、

だいたい三十三回忌までは位牌を置くだけでなく、

折に触れて帰ってきた故人の霊を迎え入れ、

温かくもてなしてあげる必要があります。

これが先祖供養をするという一つの意味です。

 

また、位牌には個人の物の他に、

先祖代々の霊と書かれた代々の位牌もあります。

 

死後30年も経つと、霊はこの世に帰ってくることもなく、

それぞれ霊界に行ってしまわれますので、

個人の位牌は三十三回忌を過ぎたら、お焚き上げをして、

先祖代々の位牌に合祀するのが原則となります。

 

仏壇に先祖代々の位牌を置いて、基本的な供養をすれば、

自然に家の中は落ち着いてくるでしょう。

 

 

先祖供養の意味を実感した話

昔は先祖供養という言葉は聞いたことある程度で、特に理解もしていませんでした。

それどころか自慢ではありませんが

お墓参りにすら気が向いたときのみしか行っていない様な子でした。

しかし身内が亡くなってからというもの、

施餓鬼や春のお彼岸、秋のお彼岸 お盆、命日など事ある毎に

お寺、お墓に通うようになっていました。

以前の私は、会ったこともない親戚に何の報告をしにお墓へ参るのか・・・

それに意味があるのかさえ分からず

ただついて行く、ただ手を合わせる。

お線香を皆と同じようにあげるだけでした。

ですが、生前お世話になった身内が、

自分の大事な何度もお会いした身内が亡くなればやはり今までとも気持ちが違います。

命日、彼岸等にはお墓参りをする。

これがいつしか自分の中での習慣になっていました。

親戚が亡くなり初めて施餓鬼の時、

身内の誰もが行くことが出来ず、私が代わりに行くことになりました。

お寺でお経を聞き、お線香をあげ住職さんのお話を聞き色々と考えさせられました。

供養とはわざわざ住職さんを呼んで、尋ねてお経を読んで貰うことだけではない。

正直、お経を読んで貰うのにはお財布との相談もあります。

それならば無理することなく、毎日でなくともその人を思うそれだけでも供養になる。

必ずお墓参りに行かなくてはいけないのではない、

場所はどこでも「思うこと」がまず供養の第一歩だということ。

仏壇のお水を替える、お線香を上げる。

それでいい。

先祖を供養する事は今の自分の生かされている状況に感謝すること。

先祖が居たからこその今の自分がいるということ。

命は自分だけのものではないと言うこと。

今までと身内が亡くなってからの施餓鬼等のお寺への訪問、

住職さんとのお話により自分の考えが変わってきたように思いました。

少子化が進む中身内の方のお墓を建てる際にどこに建てるか、

永代供養の方がいいのではないかなど問題になりました。

お墓を建てるのにはそれなりのまとまったお金も必要ですが、

その分永代供養ならそれほどの初期費用がいらない。

そして何より今後子供たちにお墓の管理等の迷惑、負担がかからないことも考えました。

しかし他人様と一緒という事に引っかかりを感じたらしく結局個人でお墓を建てることにしました。

最近は結婚等をし姓が変わったらそのお墓に一緒に入ることは出来ない、入っては駄目。

とか言う人は減った。

入りたければ入ればいい。何の問題もないよ。

と聞きました。

それなら私がいつか墓守をし姓が変わっても皆と一緒に入れるんだなと嬉しい思いがしました。



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先祖供養の意味 への1件のコメント

  1. 福永篤

    ネットで仏教と先祖供養は関係ないと書いてあったので、
    浄土真宗の住職先生が仏教と先祖供養は関係あるのですか?
    と聞いたら本来は関係ないと言われました。
    本当ですか?

    返信

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