私流御先祖供養は感謝の心

私は長男で両親は健在ですが両親とは同居しておらず、

弟夫婦が実家で同居して両親を看てくれています。

当然御先祖の仏壇は実家にあり、

法事などの御先祖様の供養は健在の両親が今は取り仕切っています。

 

実家が古くから続く家系であるとか、昔からの商家というわけではなく、

普通の勤め人だった父がほとんど天涯孤独で縁のある親戚もなく、

唯一の血縁であった実母(私にとっては祖母)も亡くなっているので、

御先祖供養といっても、その祖母が守っていた仏壇の位牌を供養するだけの極簡単なものです。

 

先祖代々の墓所なども無いので、祖母は宗派に拘らず供養して貰える大阪の一心寺に眠っています。

この御寺には納められたたくさんの人の御骨を練り込んて造られた御仏像があり、

お墓参りの代わりにその御仏像にお参りするのです。

私の両親も此処に入る事にしていますし、弟や私達夫婦も先々それに倣う事に決めています。

 

 

●私の自己流御先祖供養

子供の頃の家庭事情があまり良くなかった所為か、

父は御先祖供養にはそう熱心ではありません。

彼岸や盆に仏壇にお供えをいくらかする程度で、

その度一心寺へのお参りをしている様でもなさそうです。

 

そんな父の影響か私もほとんど無関心で、

祖母の墓参りには一度両親に付いて行ったきりで、

墓参りや法事などの一般的な仏式の御先祖供養はほとんどしていません。

 

しかしだからと言ってご先祖を蔑ろにしているわけでは決してありません。

形としての御先祖供養には関心が無いだけで、

直接世話になった母方の祖父母や父方の祖母に対する感謝はずっと持ち続けています。

ですから、お墓参りこそ行きませんが、

毎日寝床に入ってから寝入る前に、祖父母の顔を思い浮かべては、

一人一人にお休みなさいと就寝の挨拶するのが習慣になっています。

 

祖父母の他にも、亡くなった叔父達や、

流産でこの世に生まれ得なかった弟と孫、舅にも一言づつ挨拶します。

そして最後に顔も見知らぬ数多の御先祖様に礼をします。

 

 

●御先祖供養とは感謝の心

御先祖供養とは御先祖に対する自らの感謝を示す心だと、私は思っています。

遠い過去から連綿と続いてきた御先祖様があればこそ、今の自分が存在するのです。

その事に対する感謝の心をご先祖様に伝えたいのです。

 

いいえ、実はそんなに大仰な事ではありません。

祖父母や叔父達が幼い私を可愛がり慈しんでくれた事に老境に至ってやっと思い至り、

そんな祖父母に対する今更ながらの親しみや感謝を自分なりに示したいのです。

生きる事の喜びを経験できなかった弟や孫をこの腕の中に抱いてやりたいのです。

心配をかけて、それでも見守ってくれた舅にお礼を言いたいのです。

 

無精で墓参りにも行かない言い訳に自分でも思えますが、

そんな感謝の気持ちがあるのは紛れもない事実です。

だから私は、御先祖様に見守って下さいとか、助けて下さいという願い事はしない様にしています。

御先祖様は感謝する対象ではあっても、自分の行動を手助けさせる道具では絶対ないからです。

誰かに頼るのではなく自分が懸命に生きていけば良いのです。

 

そして今、無事に生きている事は御先祖様のお陰なのです。

御先祖供養とは、その事への感謝の心以外の何物でもありません。



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