先祖供養は気持ちが大切

長男である私にとって、先祖供養は、とても重い重責のある事と捉えて生きてきました。

なぜなら、朝起きたら、まず仏壇にお水とご飯を供え手を合わせる。

帰宅したら、まず仏壇にお水とご飯を供え手を合わせる。

 

お盆やお彼岸やお正月となれば、仏壇を代々伝わるお作法通りに飾りつけ、

お墓には毎日のように手を合わせに向かう。

また、毎月、親族のお墓も含めて9箇所のお墓参りをする。

小さい頃から、それが普通の事だと思って生活してきました。

 

ところが、段々と世の中の事が分かる年齢になってきたある時、

みんなが朝起きたら仏壇にお水とご飯を供え手を合わせる訳ではないという事や、

お墓参りをかかさずする訳ではないという事が分かってきました。

 

そして、私は先祖供養のやり方で親とぶつかり、

形式に囚われず気持ちが大事なのではないか?と訴えました。

 

自分ができる範囲で、ご先祖様へ気持ちをこめて祈り、

お腹が減ってるでしょうからその人が好きだった物をお供えする。

全てできる範囲でやる。

そんなやり方では駄目なのかと訴えました。

 

でも、代々ずっとやってきた形式は崩せないと、私の意見は飲んでくれませんでした。

 

そんな時、父親が亡くなりました。

先祖供養の形式を守ってほしいと言っていた母親も、

この機会に、あなたの思うように先祖供養をしていってくれれば良いと言ってくれました。

私はすごいうれしい気持ちになりました。

しかし、結局の所、我が家の先祖供養の形式めいた作法は、そのまま引き継いでやっています。

ただし、その中に、気持ちを込めれるようになりました。

 

朝と帰宅時、まず仏壇に、お水とご飯、

じいちゃんばあちゃん父親が好きだった物を供え手を合わせる。

お盆やお彼岸やお正月は、仏壇を代々伝わるお作法通りに飾りつけ、

ご先祖の話をして故人を想いだす。

お墓は先祖様のお家だから、しっかり草刈をして、石を磨いて掃除をして手を合わせる。

自分なりに、できる範囲で、できない時はごめんなさいと諦めながら先祖供養をしています。

 

話が前後しますが、なぜ、私が、先祖供養は気持ちが大切だと思ったのかというと、

ある教団へ入団していた時の経験があります。

ご先祖1人1人の供養串を購入してお山にはいって先祖供養をするのですが、

お金をかけさえすれば、先祖供養は親族までどんなにでもできます。

しかし、そこには気持ちがこもっているのか自分で疑問に思いました。

 

本当の先祖供養って何だろう?

何度も自問自答しました。

そこで、私が先祖だったら、やってもらいたい事って何だろう?と考えました。

そこで行き着いた答えが、忘れないでいてほしいどこかで思い返してほしいという事でした。

 

その考えに行き着いた結果、先祖供養にお金をかけるのをやめ、

しっかりご先祖様と向き合い想いだす事にしました。

 

しっかり向き合う為に、お寺まわって聞き込み、役場に行き、家計図を再編して作成しました。

そして、想いだす為に、親戚まわりをして

先祖がどのように生きていたのか?

何が好きだったのか?

話を聞きました。

 

そういう行動をとっていると、より先祖に向き合う気持ちが変わってきました。

その時から、先祖供養は気持ちが大切だと思って手を合わせています。



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