京都の西本願寺で永代供養をお願いして

もともと、地方に家のある我が家ですが、

母が高齢となってきているため、もう自分ではなかなか供養ができないかも、

ということで、永代供養をすることになりました。

 

本来ならば、私たち子どもが、先祖代々の供養をすればよいのでしょうけど、

私たち子どもは、何かあった時には、ご先祖様にお願いをするということをしても、

普段は仏壇のない生活をしており、宗教的なことを考えることはありません。

 

そのため、きっと、母は私たち子ども世代になったら、

きちんと供養をしてくれないだろう、ということで、

先祖の供養のことが気になっていました。

 

永代供養を母の住んでいる地元のお寺ですればよいのでしょうが、住職さんも代替わりされ、

母にとっては孫のような世代の住職さんの法要では、どうも気ノリがしないようで、

それで、わざわざ京都に出かけ、西本願寺さんで永代供養をお願いすることになりました。

 

少々複雑な家ですので、母の二人の父親、そして、母親、

さらに、母の夫、すなわち、私の父ですが、

そのメンバーの永代供養をしていただこうとすると、

結構なお金がかかることに、まずは驚きました。

 

それでも、母の気持ちがそれでおさまるなら、と考え、

私たち子どももその費用を負担して、供養をお願いしました。

 

これまで近所のご住職に、命日や回忌法要をお願いした時には、

結構な長さでお経を読んでくださり、

また、そのあと、法話などもしてくださるので、

今回、永代供養ということで、大々的な法要になるのかな、と思っていましたけど、

そのようなことはありませんでした。

 

粛々と、おつとめをしてくださったので、それはそれでよかったのですが、

少し拍子抜けのところもありました。

もっとも、そういったお経の長さとかではなく、

本願寺さんで供養をしていただく、ということが、母にとっては重要なことのようでしたから、

それで、母親が安堵してくれたなら、それが一番と考えています。

 

その法要にまつわる母の姿をみていて思うことは、

先祖の供養とはいえ、それは、ある意味、残されたもののこころの供養ではないか、

ということです。

母はそれですっかり安堵しているわけで、

そういった気持になれることが、何よりも大切なことではないか、

と感じています。

 

あまり遠くない将来、母が他界するようなことがあったとき、

私たち子どもはどのような気持ちになるのか、ということは全くわかりませんが、

母の希望にそったとおり供養をすることで、

きっと、私たち子どもも、心が穏やかになるのではないかと思います。



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