舅を見送るまでの日々

当時我々夫婦は県外に住んでおり、夫の実家へ帰省するのは年に3回程度でした。

そんな生活の最中に伯母から電話があり父が入院したこと、

そして末期の肝臓ガンであることを告げられました。

 

更に既に父が肝硬変を2年程患っていることが判明し、しかもそれを家族に隠していたのです。

きっと大好きなお酒や煙草を咎められたくなかったのでしょう。

 

そこから伯母達と連絡を取り、もはや手の施しようのない所まで進行していた為

「本人には告知しない」という結論に至りました。

 

この事を知ったのが12月だったのでいつも通り年末に帰省し、

例年より長く父と過ごすことにしました。

 

予定より早く父は退院しており

「担当医が年始にでも話を聞きにきてくれと言っている」との事だったので、

それまでの間は大掃除をしたり、毎年父が作ってくれる年越しそばを食べたりと

出来るだけいつもと同じように過ごしました。

 

夫もこれが一緒に過ごす最後の正月かもしれない、と思っていたようで

夫と二人きりになった時に我慢できずに泣いてしまいました。

 

担当医からは「長くて半年です」と告げられ、

それでも父は脱腸で入院していると思っていました。

痛みを取る為にモルヒネを使用し、

じわじわと内臓から出血していたので時に吐血することもありました。

 

どうにかその出血を止めることが出来たので

脱腸の手術を受けるだけの所までたどり着いたのですが、

担当医からは「手術しても意味はないと思うけどどうしますか」と尋ねられました。

「何よりも本人が脱腸で辛い思いをしているので、それを取り除いてあげてください」

と手術をお願いしました。

 

手術後の父は晴れ晴れとした表情で「痛くなくなった!」と嬉々としていました。

そして間もなく退院して、その二日後に従弟から

「先生が会わせたい人がいたら呼んでくれと言っている」と連絡が入りました。

 

病院に着くと伯母が先に到着しており

「少し落ち着いたみたい。また入院かもしれないからその用意をしてくる」

と病院を後にしたと思ったら容体が急変し、

急いで伯母に連絡し戻るように要請しました。

父は今まで見たこともないような苦しみようで

私はただ手をさすって声を掛けることしか出来ませんでした。

 

程なくして父は旅立ち、残された私は泣くばかりでしたがまだ全てが終わった訳ではありません

夫の地元ではあるけれど葬儀会社はどこに頼むなどの知識が全く無く、

結局は従弟にお願いして手配をして頂きました。

いまだに「父に告知しておけば良かったかな」と後悔しています。



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