印象的だったお別れ

すぐ近くに住んでいたピアノの先生(以下、先生)が亡くなった時のこと。

 

15年程前、ずっと肝炎で入退院を繰り返していた先生が亡くなりました。

きちんと亡くなったという連絡を受けたわけではなかったのですが、

亡くなった当日か翌日と思われる朝、先生の家の前を通った時、

明らかに棺を運ぶための車が止まっていました。

電車の時間もあったので、その時は「もしかして」と思いながらも出先に向かいました。

 

そのあと空いた時間に母に「先生が亡くなったかもしれないから確認してほしい」と連絡しました。

何時間かしてから、「やっぱりそうだった」との連絡があり、

先生が亡くなったという事実を受け入れることとなりました。

とても寂しく悲しく、もっとお話したかったという想いが

真っ先に浮かんだ事を今でもありありと思い出せます。

 

前置きが長くなりましたが、その後お通夜、お葬式とならなかったのです。

もちろん、形としての葬儀や火葬はその後あったとは思いますが…

先生のお宅のレッスン室に先生のご遺体を3日程安置して、

交流のあった方が次々に訪問するという形をとったのです。

 

何人かのご葬儀に参加しましたが、初めてでした。

お坊さんも来ない、位牌やらも無く、いろんな人が来て、先生の最後の顔を見て、

ご家族と思い出話をして、思い思いに帰って行く。

 

私は近所ということもあり2、3度足を運びました。

出棺の前まで、何人もの方が先生にお別れと感謝を伝えに来たのだと思います。

花やお供え物でいっぱいでした。

 

棺に入る時の定番の、いわゆる「死装束」というものがありますが、

これも印象に残っております。

全くの普段着だったのです。

着物や、伝統的なものが多く用いられると思いますが、

何とジーンズとチェックのネルシャツ。

確かにいつもの先生の姿でした。

 

奥様に「先生っぽいですね」と伝えると

「一番先生っぽい服にしたのよ」とお話してくださいました。

今にも起き上がって「ちゃんと練習してるか?」と言われるんじゃないかと思うくらい、

普段のままの先生の姿でした。

 

出棺され、火葬の後遺骨が再びレッスン室に運び込まれました。

また数日の間、訪問者があったようです。

納骨の日まで、教え子やお友達、ご家族と共に

たくさんの時間を過ごせたのではないでしょうか。

 

先生が亡くなってから何年もしてから、私はピアノの仕事をすることになりました。

先生に、直接お話できなかったことが何とも残念ではありますが、

鍵盤に向き合う時、きっと先生も聴いてくれていると感じることができるのは、

この印象的なお別れがあったからこそと思っています。



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