先祖供養は必要だと思えます

子どものころ、祖母などにつれられて墓参りに行っても、

単なる行事という認識しかありませんでした。

その認識が大人になってからもずーと続いていたのです。

 

祖母が亡くなった後、親戚の叔母が仏壇と墓の世話をしていました。

その叔母が体の不調で、仏壇と墓の世話ができなくなったときです。

 

両親を幼いころになくしている私には、他に仏壇や墓の世話をする人がいません。

何しろ、私が本家の跡取りですから、そんなわけで、私が仏壇と墓の世話をし始めたときです。

 

ある夜、夢を見ました。

その夢は、私の先祖たちが、仏壇の前に勢ぞろいしているのです。

そこに私も招かれている夢です。

すぐに私自身、これは私に仏壇と墓の世話をしなさいという暗示だと直感しました。

それ以来、毎日、仏壇のお水を代え、毎晩、ろうそくと線香をあげています。

 

墓は大阪にあり、遠くてちょっと行きにくいですが、年に一回は墓参りに帰るようにしています。

たった、これだけですが、これが先祖の供養だと思っています。

 

しかし、これはあくまで形式上の先祖供養です。

精神的というか生理的には、私の肉体や精神は先祖代々受け継がれてきたものだという認識でしょう。

親がいてくれたからこそ、現在の私があるのです。

また、私の親は、祖母や祖父がいてくれたからこそ、存在していたのです。

このように考えると、私という存在は、いきなり、この世に生まれたわけではなく、

先祖代々、ずーとつながっていたのです。

 

親がなくても、子どもは育ちますが、親がなければ子どもはうまれません。

確かにそのとおりです。

ですから、この系譜を認識した後、親や先祖に感謝すべきだと思います。

親をはじめ、そのずーと先の先祖がいてくれて、それがずーと続いていたからこそ、

現在の私が存在するのです。

 

さて、先祖に対する感謝とは、形式的な供養だけでなく、精一杯生きることではないでしょうか。

というのも、私の精神も体も先祖代々受け継いだものですから、

それを思いっきり使う、全力で使って人生を送ることこそ、先祖に対する供養だとおもいます。

 

せっかく、健全な肉体と精神を持ちながら、勉強も仕事も十分にしないで、

他人が生きているから自分も生きているというような生活をしていたのでは、

先祖に対しても申し訳ないはずです。

まして、いくら、お金儲けしても、それが犯罪だと、先祖は喜ぶでしょうか。

 

先祖は自分の子孫が、たとえ貧しくても立派に正々堂々と生きている姿に喜ぶのではないでしょうか。

そして、それこそが本当の先祖供養ではないでしょうか。

ご家庭で先祖供養を

私は現在40代ですが、現在同年代の方でも自宅にお仏壇を置いている人は本当にまれになりました。

私の世代は幼いころは祖父や祖母と同居している家族が多く、遊びに行けばどの家にもその当時はお仏壇があったように思います。

またお盆、お彼岸と言うと我が家にもお坊さんがいらっしゃってお仏壇を拝んでくれました。

そんな風景はその当時はある意味当たり前のように感じていましたが今の時代は違ってきているようです。

続きを読む




先祖供養 関連記事


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

コメント

お名前 *

ウェブサイトURL