形式よりも心を込めた供養

家で介護してきた祖母が90歳で亡くなったとき、

私は悲しみよりもホッとした気持ちになってしまいました。

優しい祖母だったのですが、寝たきりで痴呆が進むと暴言を吐いたり

一日中訳の分からないことを叫んだりしていので、家族皆が心身共に疲れ果てていたのです。

 

でも不思議なもので、祖母が亡くなってからは良い思い出ばかりが思い出されて、

なぜもっと優しく接することができなかったんだろうという後悔の念に苛まれました。

 

祖母の仏壇の前で泣きながら謝ったことも何度かありました。

お墓参りに行くたびに、ごめんなさいとありがとうの気持ちが入り混じっていました。

 

そんな思いを抱えたまま一周忌を迎えたときのことです。

法要の最後に住職から、ご先祖様への思いについての話があったのです。

それは、何か特別な日に特別なことをするのではなく、日々思い出すことこそが供養だという話でした。

そして、ご先祖様にとって何よりの供養は、私たちがちゃんと生きていること、それが一番大事だそうです。

そうすると私は今まで、ご先祖様が天国から見たときにどれほど心配をかけていたことでしょう。

 

悲しみで泣いて過ごされて嬉しいご先祖様がいるでしょうか。

少なくとも、心の優しかった祖母は私が後悔の涙を流すことなんて喜ぶはずありません

祖母が今までどんな思いで天国から私を見てきただろうと想像すると、

それまでの自分が恥ずかしくなりました。

 

それから少しずつ意識が変わりました。

日々思い出して泣くのではなく、思い出話を家族ですることによって、

どれだけ自分たちが愛情を注いでもらっていたかが分かり、

悲しみよりも感謝の念が大きくなっていきました。

 

それまでは、どんなに周囲の人たちから

「家で介護していたら余裕がなくなって優しくなれなくて当たり前」

と言われても心に響きませんでした。

私の中で祖母がどうこうというよりも、

祖母のことを何でも意地悪に見てしまった自分が許せなかったからです。

優しさを持つ余裕以前の問題です。

 

でも、考えてみたら、祖母に対しての愛情が今も

私の中にあるから亡くなった後もこんなに苦しいんだと思いました。

本当に祖母のことをどうでもいい存在だと思っていたら

こんなに悩んだり後悔して苦しんだりしないんですよね。

それからは後悔の涙を流すのではなく、

できれば嬉しい報告をして嬉し涙を流せるようになりたいと思うようになりました。

 

辛く苦しい状況のときでも、私はおばあちゃんに見守られているから大丈夫だよ、

という気持ちを伝えているうちに、何だか本当にすぐそばで祖母が守ってくれているような気になり、

心強くなりました。

 

こういう経験から、ご先祖様の供養をするということは

残された私たちの心が成長するということなんだと思いました。

いつか私にも寿命がきて、あの世で祖母に会えたら話したいことが山ほどあります。

そのとき祖母がどんな顔をして聞いてくれるか楽しみです。

ご家庭で先祖供養を

私は現在40代ですが、現在同年代の方でも自宅にお仏壇を置いている人は本当にまれになりました。

私の世代は幼いころは祖父や祖母と同居している家族が多く、遊びに行けばどの家にもその当時はお仏壇があったように思います。

またお盆、お彼岸と言うと我が家にもお坊さんがいらっしゃってお仏壇を拝んでくれました。

そんな風景はその当時はある意味当たり前のように感じていましたが今の時代は違ってきているようです。

続きを読む




先祖供養 関連記事


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

コメント

お名前 *

ウェブサイトURL