供養で私が気をつけていることと親戚間での先祖供養での違いで頭にきたこと

私の家で行ってきている先祖供養は、一周忌、三回忌、七回忌の法要です。

旧家なので先祖の人数も多くその分回数も増えますが、

必ず年忌法要では、どの先祖にも食事をしたりお経をあげてもらっています。

彼岸やお盆などにもお墓参りをすることで供養しています。

 

毎日の先祖供養でしている心がけは、仏壇に向かってお願いごとをしないということです。

神社ではないのだから、願掛けだとか夢を語り、それが叶うように見守ってほしいだとか

そういう気持ちでは仏壇に手を合わせないようにしています。

ただひたすら無になり、そのうえで先祖そのものを思う気持ちを持って、

先祖本人へ語りかけるような供養をしています。

 

仏壇が何のためにあるのか原点に立って、先祖側の立場になって想像したら、

どうして欲しいかということを基本に供養しています。

私は仏教や宗教の知識は浅いですが、それでも先祖や供養の世界でも

相手がされて嫌なことをしないということを心がければ、マナー違反は発生しないとも考えているからです。

 

先祖が好きだった食べ物が仏壇にあがっていれば、

「良かったね、今日は大好きだった葡萄があるよ、一生懸命作ってくれた葡萄今年もいっぱい取れたよ。」

というように、本人が生前に好きだった物や、頑張っていたもの、

情熱をかけていた事柄にまつわることを話しかけるように供養をしています。

実際口には出しませんが、心でそう唱えています。

 

もし、後生があるのなら、自分が生前に存在していた意義を知りたくなるし、

認めて欲しい、感謝して欲しいという感情になることは予想ができるからです。

自分だったらどうしてほしいか、相手の立場ならどうされたいかという気持ちで供養することが、

供養の意味だと私は考えています。

 

 

私自身の個人的な日々の供養の心意気の問題とは別に、

親族間での先祖供養の考え方の違いは、日々感じることが多いです。

家は旧家で先祖の人数や親戚の数や親戚の年齢の開きも大きいなので、

やはり人それぞれその分考えも感覚も違ってくるからです。

住んでいる環境や送っている人生は親戚といえども当然、個人差もあるので、

先祖供養に関しても大きく影響しています。

 

例えば、合成を施した遺影に関して咎める親戚の方もいらっしゃいます。

今では合成処理を施した遺影は、数も増え場所によっては一般的になりつつあるという話しです。

しかし、年齢も若く社会経験の無い方に合成遺影の件について不服を言われても困ります。

あなたはお金を出して家の葬儀をしているんですか? 違いますよね?

というのがこちらのこちらの本音だからです。

 

こちらの一切の思いを無視し、慮る気配すらないその言葉、

何故合成に至ったのか理由も尋ねず、思いやりさえもないその言葉に怒りを感じました。

 

故人の遺影写真に合成を施した理由は、

私といつも一緒にいて楽しそうに並んでいる写真しかなかったからです。

すべての写真において私が必ずセットで映っているものしかなかったから、

合成に頼るしかない状況になったからです。

私と重なっているように映っている写真しかありませんでした。

遺影に今生きている私もセットで写ったものを使用しろと言うのですか?

と当時は問いただしたい気分になりました。

 

供養の態度には、色々な立場にある相手を思いやれる力があるのかどうかも出るものだな、

と感じた一件でもありました。

ご家庭で先祖供養を

私は現在40代ですが、現在同年代の方でも自宅にお仏壇を置いている人は本当にまれになりました。

私の世代は幼いころは祖父や祖母と同居している家族が多く、遊びに行けばどの家にもその当時はお仏壇があったように思います。

またお盆、お彼岸と言うと我が家にもお坊さんがいらっしゃってお仏壇を拝んでくれました。

そんな風景はその当時はある意味当たり前のように感じていましたが今の時代は違ってきているようです。

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