沖縄の墓参り

私が嫁いだ先の沖縄は、本土で生まれ育った私にとって驚くような先祖供養の風習が幾つもあります。

年に一度一族が墓の前に集まり、酒や食事を持ち寄り、

先祖と共にひとときを過ごすシーミーという風習は、お墓へのピクニックという感じでしょうか。

重箱といわれるお供え物料理も、この時期には街のスーパーで大量に販売されます。

 

移住して18年になる私ですので、年の近い沖縄の友人も増え、

さらに、これまではただの手伝い要員でしかなかった私も、

義母の代わりに周りを振り回していく立場に変わりつつあります。

 

この数年、同世代の嫁友達で話題になるのが、昔ながらの沖縄独特のお供え物料理の話題です。

何しろ、大きなお重箱にぎっしりと何も味のない白い餅を詰め、

さらにもう一つのお重箱に、おかずと称した煮物や蒲鉾を

決められた数量と品数で埋め尽くさなければならないのです。

流石に、全てを手作りするのは大変なため、市販された物を購入して準備するのが一般的ですが、

問題は、これをみんなで食べきらなければならないことです。

 

移住したばかりの頃は、私も若かったこともあり、準備されたものを勧められるから食べるだけでしたが、

流石に最近は、風習とはいえ、普段の食事からはかけ離れたお供え物料理に、

面倒だという気持ちが年々高まっていました。

 

友人や義母に何故このようなものが必要なのか尋ねても、

「昔からやっていることだから」という返答しか返ってこなかったため、

意味のないめんどくさい風習としか認識できなかったのです。

 

時代と共に風習について柔軟に考える人が少しずつ増えてきている今、

伝統的なお供え物料理にこだわらず、白餅の替わりにおにぎりを準備したり、

バーベキューをしたという話を友人から聞くようになり、思いきって、ある年に提案してみました。

受け入れてもらえるだろうと軽い気持ちで提案したところ、親戚の伯母からこっぴどくしかられてしまいました。

 

その時、初めてこの伝統的なお供え物料理の意味を聞かされました。

何故品数や数量が決まっているのか、何故墓で食事をするのか、

そして、何故食べ残してはいけないのか。

 

当たり前のことではありますが、風習には意味があります。

供養のように一族が長い時間継承してきた物には、ひとつひとつに本来意味があるのは当然です。

ただ、形を継承しても意味まで継承しなければ、

いつかは、私のように面倒だという一時の感情で拒否してしまうのかもしれません。

時代の流れで形を変えるタイミングが来るかもしれませんが、

その時に、意味を知った上で選択をするのと、

知らずに選択するのでは大きな違いがあるのかもしれません。

 

大変な想いをわが娘にはさせたくないという親心と、

受け継がれてきた供養の形を繋げなければならないという使命感の間で面倒な立場にいる私ですが、

今しばらくは、義母についていこうと思います。

ご家庭で先祖供養を

私は現在40代ですが、現在同年代の方でも自宅にお仏壇を置いている人は本当にまれになりました。

私の世代は幼いころは祖父や祖母と同居している家族が多く、遊びに行けばどの家にもその当時はお仏壇があったように思います。

またお盆、お彼岸と言うと我が家にもお坊さんがいらっしゃってお仏壇を拝んでくれました。

そんな風景はその当時はある意味当たり前のように感じていましたが今の時代は違ってきているようです。

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