墓じまいに思う事

昨年の7月ごろ、私の父方の祖父母のお墓をいわゆる墓じまいし、

永代供養にする一連の作業に参加する機会がありました。

 

そのお墓は祖父母が生まれ育った田舎で、

静かな山の中にかつての集落ごとのお墓が散在しているような場所にありました。

 

建てられてそう年月が経つわけではありませんが、

管理する親族の住む場所からはかなり遠方にある事、

偶然そのお墓の近くに永代供養をしていただける知り合いがいた事などがきっかけとなり、

そのような流れとなりました。

 

私にとってはその時が田舎を訪れる初めての機会でした。

父も約50年ぶりに田舎に帰ったそうで、懐かしさと同時に、

まだまだ自然が多く残っているものの、大きく変わった田舎の景色を感慨深く眺めていました。

 

そのお墓はある程度の高台にあったので、そこからは辺りの様子を一望することができました。

とても静かな風の音と、夏の虫の声、燦々と照りつける太陽の日差し。

そこには普段の喧騒とは違う時の流れがあるようで、

静かに時間が流れているようでした。

 

父の兄妹が一堂に会し、墓じまいの一連の流れを見届けました。

それはとても簡単なもので、知り合いの檀家さんが何やらお経を読み上げた後、

お墓に納めてあった遺骨を取り出す、といった程度のものであったと記憶しています。

 

そしてその後永代供養していただけるお堂

(そこは最近建てられた真新しいもので、まだまだ空きが多くありました)に移動し、

またちょっとしたお経が読み上げられ、遺骨は小さな棚のような場所に納められました。

 

お墓を建てそこで遺骨を管理するのか、それとも永代供養をお願いするのか。

確かにお墓を建て然るべき場所にご先祖様に眠っていただく方が、

気持ちとしては厳かな気持ちになるし、ご先祖様に対する畏敬の念というものも、

感じやすいと思います。

 

お墓の管理をする者が遠方に住んでおり、大変であるといっても、

その煩わしさも含めて、ご先祖様に対する供養であり、

ありがたみや、言葉は少し違うのかもしれませんが、

達成感というものも出てくるのではないかと思います。

 

お墓に納められていた遺骨と、永代供養としてロッカーのような場所に納められた遺骨。

全く同じものであるはずなのに、どこか重みというか、その価値が違ってくるように思えました。

 

とはいえ、私の周りでは亡き後の自分の遺骨をしっかりとお墓に入れて

管理してほしいという人はほとんど見かけません。

多くの人が葬式も簡単に済まし、永代供養でいいと言います。

亡くなってしまえばそこで終わり。立派なお墓なんて必要ない、と。

 

しかし私は、今回の初めてのお墓参りであり、墓じまいに立ち会い、

少し、お墓それ自体や、先祖代々お墓を守り続けていく大切さ、

その意義を、なんとなく理解できた気がしました。

 

そこにあるのはただの骨で、ただの墓石で…。

それでも改まった気持ちにさせてくれる。

お墓は、あっても決して無駄ではない場所であると思えました。

ご家庭で先祖供養を

私は現在40代ですが、現在同年代の方でも自宅にお仏壇を置いている人は本当にまれになりました。

私の世代は幼いころは祖父や祖母と同居している家族が多く、遊びに行けばどの家にもその当時はお仏壇があったように思います。

またお盆、お彼岸と言うと我が家にもお坊さんがいらっしゃってお仏壇を拝んでくれました。

そんな風景はその当時はある意味当たり前のように感じていましたが今の時代は違ってきているようです。

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